きっと喜べない

 結局、なんだかんだ言っても私たち新聞社は「新しいもの」や「大きなもの」が完成するのが大好きなのだ-そう実感させられる場面が昨年から今年の初めに限っても何回かあった▲計画の途上では、例えば、こんなに豪華な高層の庁舎が必要なのか、とか、投資されるコストと効果は見合っているだろうか、などと疑問を投げかけることも多いが、事が完成に及ぶと、ほぼ例外なく、関係者の笑顔や喜びの声とセットになった紙面ができあがる▲いろいろ議論はあっても、出来上がってしまえば「ノーサイド」と言い切ってしまえるほど話は単純ではないが、いくら文句を付けても完成したものはなくならないから、とアタマを切り替える。それは一種の生活の知恵みたいなものなのかもしれない▲ところで「ほぼ例外なく」とさっき書いたばかりだが、どんなに想像を巡らせても完成の日の“お祝い紙面”がイメージできない公共事業が県内にある。石木ダムだ▲大石賢吾知事が昨日、川棚町の工事現場に赴き、反対住民との対話を試みたが、住民側が応じず、面会は3分足らずで終わった、と別面の記事にある▲ダムの完成を心の底から切実に待ち望む市民や、満面の笑顔で喜ぶ人々のことをうまく想像できない。なのに事業は止まらない。違和感が消えない。(智)


© 株式会社長崎新聞社