長崎大のウクライナ避難学生 平和と復興へ強い思い 福島訪れ現状学ぶ

髙村教授の案内で「東日本大震災・原子力災害伝承館」を見学するマルトバさん(右から3人目)ら=2022年8月26日、福島県双葉町(長崎大提供)

 ロシアの侵攻から逃れ、長崎大に通うウクライナの学生ら11人が昨年、東京電力福島第1原発事故が起きた福島県を訪れ、復興の現状などを学んだ。その一人マルトバ・ユリアさん(25)は今、「戦争が終わり平和が戻ったら、一日も早く復興を進めなければ」との思いを強くしている。11日で震災12年。
 昨年8月、津波で大きな被害を受けた福島県浪江町の小学校舎に整備された震災遺構。時計の針は津波発生時刻で止まったままだった。「そこにあった生活全てが止まった」。マルトバさんは衝撃を受けるとともに、今のウクライナの惨状が重なった。
 南部ザポロジエ出身。首都キーウの大学院などで法律を学び、法律関係の仕事をしていたがコロナ禍で実家に戻り、母と2人で暮らしていた。
 昨年2月、突如始まった軍事侵攻。爆撃音で自宅の窓ガラスが揺れ、警報が鳴り響いた。町は恐怖とパニックに襲われた。気丈だった母もふさぎ込むようになり、2人は着の身着のまま西部リビウに避難。マルトバさんの友人を頼ってドイツへと逃れた。
 マルトバさんは、法規制に関する比較研究のため来日を決意。長崎大が受け入れ、学生寮で暮らし始めた昨年8月、福島県内での3日間の研修に参加した。
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 研修は、ウクライナ復興の中核を担う人材に福島の復興のプロセスを学んでもらうのが目的。松井史郎副学長(56)は「チェルノブイリでの経験が福島で生かされていることも知ってほしかった」と語る。
 旧ソ連時代のウクライナで1986年に起きたチェルノブイリ原発事故。同大は90年から、被ばく医療の専門家を現地に派遣。住民の医療支援などの活動に従事してきた。
 その一人が同大原爆後障害医療研究所の髙村昇教授(54)だった。チェルノブイリでの経験や知見を生かし、福島第1原発の事故直後から現地で活動。同原発が立地する福島県双葉町に2020年に開設された東日本大震災・原子力災害伝承館の館長も務める。
 マルトバさんらは髙村教授の案内で伝承館を見学したり、住民から話を聞いたりして10年以上にわたる福島の復興の歩みについて理解を深めた。チェルノブイリでの経験が福島で生かされていることも興味深く感じた。
 マルトバさんは髙村教授に尋ねた。「どうしたら長い間避難している人たちが戻ってこれますか」。多くの人が国外への避難を余儀なくされるウクライナ。「新たな生活拠点での暮らしが長引けば、戻るのが難しくなるのでは」との思いからだった。
 原発事故を経験した福島県内でも復興の程度には差があり、住民の帰還状況も大きく異なる。髙村教授はマルトバさんとのやりとりを振り返りながら、「避難先で生まれた子にとってはそこが古里。12年という時間は重い。行政や住民、専門家が情報を出し合い、避難した人がどうするかを決めるための材料を出すことが大事」と話す。
 マルトバさんは4月から3年間、長崎大大学院多文化社会学研究科の博士後期課程で学ぶ。ウクライナ侵攻は今なお終結が見えず、多くの人が命を落としているが、それでも自身に今できることを全力で取り組もうとしている。「私たちは必ず勝利し、私たちの国を再建します」。力強いまなざしで、そう言った。

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