「フセイン独裁政権の方がましだった」 米軍侵攻20年、混乱収まらず中東勢力図は変化 イラクは今(上)

公共機関の建物の壁に掲げられたイラクのフセイン元大統領のポスター。「暴君の終わり」と書かれている=3月9日、イラク・バグダッド(共同)

 米軍主導のイラク侵攻(イラク戦争)でサダム・フセイン独裁政権が崩壊してから4月で20年となった。この間、イラクは一時、内戦状態に陥り、テロも多発した。現在も宗教・宗派、民族間の分断は深刻で、戦後の混乱は収まっていない。市民からは「フセイン政権時代の方がましだった」という声さえこぼれる。また、イラク戦争を分岐点として、中東地域の勢力図も大きく塗り変わった。あの戦争は何をもたらしたのか。日本が陸上自衛隊を派遣した南部サマワはどうなっているか。戦争後に台頭した過激派組織「イスラム国」(IS)の拠点だった北部モスルは―。イラク各地を回り現状を取材した。2回に分けて報告したい。(共同通信=吉田昌樹)

 ▽多くの検問所と武装要員
 首都バグダッドを3月に訪れると、あちこちに検問所が設けられ、銃を持った治安要員や軍事車両が配置されていた。政府施設や各国大使館が集まる旧米軍管理区域(グリーンゾーン)の周辺にはコンクリート壁が並び、物々しい雰囲気が漂っている。一方で、最近は治安が比較的落ち着いており、所々で建設中のビルやホテルが見られた。商業地区やモールには多くの買い物客らが訪れていた。
 2003年4月9日、当時のフセイン大統領の像が米軍に引き倒されたバグダッド中心部のフィルドス広場は、政権崩壊の象徴の場所となった。現在は噴水が整備され、市民の憩いの場に変貌している。

米軍に引き倒されたフセイン元大統領の像があったフィルドス広場。噴水が整備されていた=3月8日、イラク・バグダッド(共同)
2003年4月9日、イラクの首都バグダッドで引き倒されるフセイン元大統領の銅像(共同)

 2001年9月、米中枢同時テロが起きた。米国のブッシュ(子)政権は、フセイン政権が国際テロ組織アルカイダと関係して大量破壊兵器を保有していると主張した。2003年3月20日、英国など「有志連合」を率いてイラクに侵攻し、5月には大規模戦闘の終結を宣言した。だが、大量破壊兵器は見つからず、治安は泥沼化して米国の国際社会での威信は失墜した。非政府組織(NGO)「イラク・ボディー・カウント」によると、開戦以来の民間人死者は最大で21万人超に上る。
 イラク市民の多くは今も米国への反感を隠さない。バグダッドの従業員ディア・アブドルアジズさん(32)は「米軍は占領軍だった。治安や経済は悪く、人々は苦しんでいる」と訴えた。フィルドス広場に妻子と一緒に来た無職アリ・サミさん(35)は、ミサイルが飛来した開戦時の様子が忘れられないという。サミさんも「米国政府は許せない。その後のイラクは問題ばかりだ」と嘆いた。

イラク・バグダッドのタハリール広場前で写真を撮る人ら。広場は反政府デモの拠点となってきた=3月9日(共同)

 ▽政情不安続き汚職問題も深刻
 イラクの政治は今も安定していない。昨年夏にはイスラム教シーア派有力指導者、サドル師の支持者らがグリーンゾーンに突入して国会を一時占拠し、対立勢力などとの衝突で死傷者も出た。米軍侵攻後に、民兵組織を率いて戦闘を繰り広げたサドル師は今も多数の支持者を抱えるが、現在のスダニ政権に加わっておらず、今後の動向は見通せない。
 また、イラク政府は2017年12月にISに対する勝利を宣言したが、2021年にもバグダッドでISのテロが数回発生している。
 バグダッドのモールに来ていた無職フセイン・アブドルアミルさん(29)は「若者に仕事がない」と漏らした。イラク戦争開始後、父親が米国側に協力したとして過激派から脅迫を受け、一時トルコやヨルダンで避難生活を送った。米国への移住を申請したが、認められなかったという。

イラクのバグダッド市内を歩く市民ら=3月10日(共同)

 米国は「イラクの民主化」を戦争の大義に掲げた。アブドルアミルさんは「民主主義は賛成だが、根付いていない。戦争で失ったものは多く、未来に期待できない」とうつむく。商店主レイス・マジドさん(34)も「言論は自由になったが、本当の民主主義はここにはない」と政治への不満を漏らした。
 イラクは汚職問題も深刻で、多くの市民が、恐怖政治を進めたフセイン政権時代の方が「ましだった」と言い切った。通訳業フィラス・アリさん(47)は「当時の方が治安は圧倒的に良かった」と懐かしんだ。フィルドス広場にいたサミさんも、フセイン元大統領を「強い指導者だった」と評価した。

イラクの首都バグダッド北東部サドルシティーで祈る人々=3月3日(AP=共同)

 ▽イランの存在感高まる
 フセイン政権はイラクでは少数派のイスラム教スンニ派が主導していた。米軍侵攻後の2006年以降は、国内で多数派のシーア派が政権を握る。隣国のシーア派大国イランにとって、フセイン政権は1980年代に8年間、戦争を繰り広げた宿敵だった。
 現在、イランはイラクの政治や軍事、経済面にまで影響力を広げ、シリアとレバノンに至る「シーア派の弧」と呼ばれる親イラン勢力圏を築いている。米軍主導のイラク戦争は、反米が国是のイランにとって中東での存在感を高める転換点となった。
 バグダッドでは至るところで、イラン革命防衛隊精鋭部隊のソレイマニ司令官と、イラクのシーア派民兵組織、人民動員隊(PMF)のムハンディス指導者の遺影が掲げられている。米軍は2020年1月、バグダッド国際空港付近を空爆して2人を暗殺した。現場には今、空爆で破壊された車両が展示され、2人の像もつくられた。

米軍が空爆したイラン革命防衛隊精鋭部隊の司令官らが乗っていたとされる車両。空爆現場付近に展示されている=3月10日、イラク・バグダッド(共同)
イラン革命防衛隊精鋭部隊の司令官らの暗殺現場。米軍の空爆の跡が残り、司令官らの像がつくられていた=3月10日、イラク・バグダッド(共同)

 ただ、全ての外国勢力の排除を訴えるサドル師の支持者らを中心に、イランへの反発も広がっている。サドル師派元国会議員ファタハ・シェイク氏(55)は「現在の政権はイランの代理だ」と主張した。バグダッド市民の無職バシム・サラさん(73)も「混乱をもたらしたのは米国だが、イランもイラクを支配しようとしている」と非難した。

米軍が暗殺したイラン革命防衛隊精鋭部隊のソレイマニ司令官(右)と民兵組織のムハンディス指導者を追悼する看板=3月10日、イラク・バグダッド(共同)

 ▽米国の影響力は低下
 米国にとっては、この20年間で大きく台頭した中国との競争が最重要課題となり、中東への関与は低下した。中東各国の米国に対する信頼感もイラク戦争以降、減り続けている。
 今年3月にはイラクを挟んで敵対してきたイランと、親米国のサウジアラビアが中国の仲介で和解を発表し、米国の影響力低下を改めて印象づけた。ただ、中国が米国に代わって中東の安全保障を担えるかどうかには懐疑的な見方も多い。
 イラクのスダニ首相は昨年10月の政権発足後、イランなど近隣国を歴訪した。12月にはサウジを訪れ、中国の習近平国家主席が出席した中国とアラブ諸国の首脳会議に参加した。
 イラクは前政権時代からイランとサウジの仲介を続けており、両国は今年3月の外交関係正常化の共同声明で、中国と共にイラクにも「感謝する」と明記した。
 一方、米軍は2021年末にイラクでの戦闘任務終了を表明したが、現在も約2500人の部隊が駐留を続けている。IS掃討に当たるイラク軍の訓練を名目とした駐留だが、イランをけん制する狙いもあるとみられる。3月にイラクを訪れたオースティン米国防長官はスダニ首相と会談し、「安定に関与する」と強調した。
 スダニ首相は米国をまだ訪れていない。外交筋は「バランス外交を取るスダニ政権が米軍撤退を求める親イラン勢力などとどう折り合うかが、地域情勢にとっても重要になる」と指摘した。

イラク・バグダッド北東部サドルシティーで歩くベール姿の女性=3月1日(AP=共同)

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