君は「特急はと」を見たことがあるか?新幹線博多開業で姿を消した「ボンネット型485系・はと」最後の雄姿【新幹線・東京~博多全通50周年③】

「東海道・山陽新幹線」記念すべき2024年度

来年3月10日で、東海道・山陽新幹線は「東京-博多全通50年」を迎えます。

RSK山陽放送(1953年創業)は71年に渡る放送の歴史の中で、新幹線に関わる数多くの貴重動画を保存していて、「RSKイブニングニュース・YouTubeチャンネル」では、再生リスト「新幹線・貴重映像大集合」にてそのうち37本の動画を公開しています。

RSK山陽放送では、37回シリーズ(予定)で、その内容を画像を交えてインターネット記事として紹介しています。

【第1回】
【第2回】

そして第3回は「さよなら特急はと」です。

山陽新幹線 岡山ー博多間開業!その陰で...ごっそり引退した特急たち

「ひかりは西へ」をキャッチフレーズに、山陽新幹線・岡山~新大阪間が開業したのは、前回【第2回】で紹介した通り、1972年3月15日でした。東京~岡山駅間を最速4時間10分、新大阪~岡山駅間を最速58分で結ぶ、まさに「夢の超特急」の出現でした。

その3年後の1975年3月10日、さらに新幹線は博多まで延伸します。しかし、新幹線の岡山~博多間開業を前に、前日の3月9日を最後に引退する列車があったのです。

その列車の正体とは...鉄道蔵書の宝庫・岡山県立図書館(【画像②】)で、過去の時刻表を漁ってみました。すると。。。

新幹線・博多開業の前後で、特に昼間の時間帯は大きな変化が...。

岡山~博多間の在来線の時刻表は、それまでは特急を示す「太字」の列車がほぼ2本に1本というまさに「特急銀座」だったのが、新幹線以降は夜行列車以外、跡形もなく消え去っているではないですか!

ざっと見ただけでも、岡山発&岡山停車の昼間特急「つばめ」「はと」「しおじ」「なは」「日向」「かもめ」「みどり」が姿を消していました。ついでに岡山発の昼間急行は「山陽」「玄海」「安芸」も消えていました。

RSK山陽放送のカメラが捉えた「ラスト485系つばめ」

という訳でRSK山陽放送は、1975年3月9日に迎えた、それら特急列車の「最期の時」をテレビカメラに収めていました。

まず映像に現れたのは、【画像③】の国鉄485系「つばめ」です。

なぜか最終日の「つばめ」は、正面のヘッドマークが真っ白です!今見ると、ものすごく存在感のあるボンネット型の特急列車が、153系の脇を入線してくると。。。

当時は「撮り鉄」という言葉もなかったでしょうが、多くのカメラを持ったファンがカメラを構えて出迎えていました。今も昔も変わらぬ光景です。そしてみんなめっちゃ線路内に降りてる~!!(【画像④】)今は大きく変わった光景です。

このときの「つばめ」の行き先表示板は「岡山~熊本」と記されていました【画像⑤】。

ちなみに1974年の時刻表(下り)では、特急「つばめ」はいずれも岡山始発で、
・「1号・2号・5号・7号」熊本行
・「3号」西鹿児島行
・「4号・6号・8号・51号」博多行
となっていました。(なお当時は「下り=奇数・上り=偶数」は導入されていない時代です)

この「つばめ」、そもそもは1930年(昭和5年)に東京~神戸間を8時間55分で走行していた特急列車でした。

そして戦後、新幹線・東京~新大阪が開業してからは「新大阪~博多」さらには「名古屋~熊本」を結ぶようになり、1972年の新幹線・岡山開業後は、岡山~九州間を結ぶ主力列車となっていました。

その「山陽本線・つばめ」もこの日が最後。先頭車両の表示板は真っ白でしたが、最後尾の車両は【画像⑥】のようにしっかりとその名が表示され、戦前からの優等列車の最後を飾りました。

なお「つばめ」という名称は、鉄道に詳しい方ならびに九州在住の方はご存知の通り、その後九州エリアで復活。現在は九州新幹線の「各駅停車タイプ」の名称として、その名を残しています。

「はと」定期運行・最後の雄姿も「ボンネット型485系」

そして次に現れたのは「特急はと」です。【画像⑦】はヘッドマークのアップ映像から抜き出しました。図柄などはなく「はと HATO」の2行のみ...シンプルイズベストです。

ちなみに、かつて韓国には各駅停車にあてられた「ピトゥルギ(ハト)」という名称がありましたが、日本の「はと」は、岡山県立図書館で片っ端から文献を繰ってみたところ、なんともともとは「満州生まれ」の急行列車だったんだそうです。

その「はと」は、戦後に「つばめ」とともに「東京~大阪間」の特急として復活し活躍。東海道新幹線の開業後は「新大阪~博多間」の列車になり、新幹線・岡山開業後は「岡山~下関間」を結ぶ特急となっていました。

【画像⑧】は、線路上から煽って撮影した「はと」最後の雄姿。テレビカメラもここから撮っていたということは、当時ちゃんと国鉄も「線路上からの撮影」を許可を出していたということなんでしょうね。時代。

なお、1975年に姿を消した特急「はと」は復活は果たしていませんが、リバイバル運転で何回か復活しているということです。

「485系」車内&運転席はどうなっていた?

この「はと」の当時の映像の流れで、貴重な車内の光景も残されていました。【画像⑨】は、その車内の様子です。ブルーとおぼしきシートに、白のカバー。大きな荷物も網棚に載せられ、古き良き時代の旅情を掻き立てられます。

そして【画像⑩】は運転席。こちらを見ても、鉄道に詳しくない筆者は「膝、狭そうだなぁ」くらいしか分からないので、Yahoo!からご覧の方は、どんな特徴があるのかなど、コメント欄に頂けると幸いです。

1975年にもいた!「音鉄」さんを発見

さらに原稿には「かもめともお別れ」とありました。【画像⑪】は、これまた先頭車両の行き先が真っ白でよく分からないので、これが「かもめ号」かと思いきや...

弊社がいつも「鉄道ネタ」でアドバイスを頂いている、自動車を専門とする一般社団法人在籍で「専門外の鉄道」にも滅法強い職員の方に伺ったところ、当時の岡山発「かもめ」は、ディーゼル列車での運行だったとのことです。

1974年の時刻表を見てみると...ありました!「1D」かもめ!京都発で長崎・佐世保行きで、12時間近くのロングラン運転!当時から「かもめ」は併結・分離運転だったんですね。ディーゼルで関西から九州まで...頑張ってたんだなぁ。

ご存知のように、この「かもめ」もその後九州で復活し、現在は西九州新幹線に受け継がれています。余談ですが、かつて岡山を通っていた時期もあった特急「つばめ」「かもめ」の現在の車両デザインを、岡山市出身のデザイナー・水戸岡鋭治さんが手掛けているのは、何だか遠からぬ縁を感じています(むりやり)。

さようなら、「つばめ」「はと」「かもめ」。。。最後の別れを惜しんでマイクを向けて車両が走る音を録る「音鉄」「録り鉄」の人たちの姿も複数映っていました(【画像⑫】)。この時代からいらっしゃったんですね。

当時の撮り鉄(【画像⑬】)の方たちの写真と合わせて、当時の雰囲気を味わうために見たり聴いたりしてみたいものです(なお、RSKイブニングニュース・YouTubeチャンネルの動画は、今回は音声は残されていませんでした...)

ちなみに、ちょうど本日(6月15日)このあと(午前7時5分発予定)「381系やくも」の最後の定期運用列車が岡山駅を後にしますが、このような光景がまた広がるのだと思います。

次回は、「日本初の2階建て新幹線・100系デビュー!」6月22日配信予定です。お楽しみに!

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