【心つなごう/能登地震】会津と能登 球児の絆 福島県の会津北嶺高、8月石川県の輪島高を招待 「思う存分野球を」

地震でのり面が崩れ、使えなくなっている輪島高野球部の練習グラウンド(輪島高提供)

 福島県の会津北嶺高の野球部は8月4日から7日まで、能登半島地震で被災した輪島高(石川県輪島市)を会津若松市に招き、交流試合や合同練習などを行う。5月の遠征の際に輪島市で復旧支援活動に従事し、同校の球児の練習環境が限られている状況を知った。野球に打ち込める機会を提供しようと、輪島高側に申し出て実現した。部員たちは「会津で思う存分、野球を楽しんでほしい」と共に白球を追う日を心待ちにしている。

 会津北嶺高は5月11、12の両日に石川県に遠征した。主力組が遊学館や小松大谷などと試合をする間、控え部員らは輪島市内で復旧ボランティアとして活動。被災家屋からの家財の運び出しや、外壁の撤去などに汗を流した。参加した渡部創冬(そうし)さん(2年)は「報道されていたより被害が大きく、片付けも進んでいなかった」と衝撃を振り返る。

 輪島高との縁は、野球部顧問の新田恭平さん(36)が買い出しに入った店でアルバイトの輪島高生と出会ったのがきっかけだ。被害を聞いて近くの同校に立ち寄ると、校庭には災害派遣の自衛隊車両による深いわだちが残り、約1.5キロ離れた野球部の練習グラウンドも地割れや隆起があり、使えない状態だった。

 輪島高は全国高校野球選手権石川大会で準優勝2度を誇り、昨秋の県大会は8強に進んだ。ただ、1月の地震で家が全壊したり、輪島朝市の火災に遭った部員もいる。被災から間もなく半年となる今なお仮設住宅や賃貸住宅で暮らす生徒もおり、日常を取り戻せていない。放課後の校内練習はキャッチボールや屋内トレーニングに限られ、現在は週2日、約20キロ離れた市内の日本航空石川高の練習場を1時間だけ借りている。

 苦境を知った新田さんは遠征後、輪島高監督の冨水諒一さん(42)に福島県での交流試合を持ちかけた。冨水さんは「思い切り、野球ができる環境を用意してもらえるのはありがたい」と感謝し、「選手には伸び伸びと野球に打ち込んでほしい」と願っている。

 輪島高からは1、2年生の選手とマネジャー、指導者約20人が会津若松市に来る予定。8月4日は市内を観光し、会津の文化に触れてもらう。5日に野球場で交流試合を行い、6、7の両日は合同練習を予定している。期間中は市内のホテルいづみやに宿泊する。

 会津北嶺高は被災地の復興が進めば再び北陸に出向き、輪島高と再戦することも検討している。佐藤龍斗さん(2年)は「野球ができている環境に感謝しながら、輪島高との対戦を楽しみたい。8月の試合をきっかけに交流をさらに深めたい」と力を込めた。

■交流試合に向け協力金呼びかけ 100万円目標

 会津北嶺高は交流試合に向けて100万円を目標に寄付を呼びかけている。協力金は輪島高の交通費や滞在中の宿泊代、食費などに充てる。

 銀行口座への振り込みで受け付ける。1口5千円。振込先は「東邦銀行 滝沢支店 普通預金 420952」、口座名義は「会津北嶺高校野球部」。問い合わせは顧問の新田恭平さんへ。

遠征先の輪島市で被災家屋の片付けに汗を流す会津北嶺高の野球部員=5月

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