長崎の空襲 被爆者が戦禍の恐怖語る 平和推進協の6人「深化講座」

空襲の体験を話す被爆者の伊藤さん=長崎市、長崎原爆資料館

 被爆者が戦争体験をより深く伝える「被爆体験の深化講座」で、伊藤武治さん(80)=長崎市戸町1丁目=ら被爆者6人が、太平洋戦争中の同市への空襲の様子や、突然戦禍に巻き込まれた恐怖などを語った。
 6人は長崎平和推進協会継承部会員。修学旅行生や県内の子どもに被爆体験を語る活動に加え、多面的に戦争の実相を伝える同講座を定期開催している。
 4月29日、同市の長崎原爆資料館で開かれた7回目には約30人が参加。伊藤さんによると、同市は計5回の空襲を経験した。5回目の1945年8月1日は計50機の米爆撃機が多数の戦闘機に守られながら低空飛行で市内に接近。その後エンジンを全開にすると、三菱の造船所や製鋼所、旧制長崎医科大など幅広い範囲を襲い、169人の死者が出たという。
 伊藤さんは「1944年8月11日は、夜間に米軍機B29が29機襲撃に来た」などと当時の状況を説明した。
 13歳で被爆した丸田和男さん(90)=城山台1丁目=は、原爆投下の11日前、45年7月29日の空襲について講話。当時、空襲警報が発令されていたものの、「長崎は空襲されない」と考え弁当を食べていた。そこに稲佐山の方角からB29の編隊が現れ、慌てて近くの防空壕(ごう)に駆け込んだという。丸田さんは「自身の戦争体験が語り手をする原点だ」と力強く語った。

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