日記に宿る「あの日」 原爆投下からの3日間 立川裕子さんの体験が本に フリーディレクター吉村さんが書籍化

被爆後3日間の体験を日記に記していた立川さんと日記のコピー(吉村さん提供)

 長崎で被爆し、大けがを負った長崎市の立川裕子さん(91)が、8月9日から3日間の体験を振り返った手記が今夏「立川裕子 原爆日記」として出版された。救援列車内や救護所での手当ての様子を、治療のため休学した半年の間に記した。書籍化した同市のフリーディレクター、吉村文庫さん(60)は、海外の人にも実相が伝わるようにと英訳も加えた。「14歳の素直な感情が書かれている貴重な手記」と話した。
 立川さんは当時14歳。県立長崎高等女学校3年の時、爆心地から約1.2キロの三菱長崎兵器製作所大橋工場で被爆した。頭と首から血を流し、全身の100カ所以上にガラスやコンクリート片が刺さる重傷だった。友人と防空壕(ごう)に逃げたが、血まみれの姿に「むしろでもかけんば」と、死んだ人のような扱いを受け壕を出た。道ノ尾から列車に乗り10日早朝、川棚の救護所にたどり着いた。
 救護所では衛生兵に「これは手におえん」と言われ「そんなにひどいのかと心が真っ黒にぬりつぶされてしまった」。治療のため、半年休学したが今も体内にガラス片が残っているという。

立川さんの体験を本にした吉村さん=長崎原爆資料館

 戦後、立川さんは夫の転勤で東京や大阪などで暮らした。体験は夢に出るほどはっきり覚えているが「分からない人に話し差別されるのも嫌」とこれまでは、ほとんど話してこなかった。
 日記は3年前、テレビ局の取材のため資料を整理中に見つけた。身の回りの色紙などで作ったノートで、復学後に続きを書こうと思っていたのか、文章は途中で終わっていた。実物は昨年、長崎原爆資料館に寄贈した。
 書籍化した吉村さんは、長崎ケーブルメディアで原爆をテーマにした番組を制作。日記は番組でも全文を紹介したが、多くの人に知ってほしいと出版を決め、資料や解説も添えた。
 立川さんは「本になって当時の状況が伝わることになり良かった。戦争がないように、平和であるようにと感じてほしい」と話した。
 書籍は長崎原爆資料館と好文堂書店で、電子書籍はAmazonで販売中。いずれも500円。


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