太平洋戦争中、長崎県佐世保市下船越町に旧日本軍の水上特攻艇「震洋」を実戦配備し、整備する集積場があったことが19日までに同市教委などの調査で分かった。長崎平和推進協会の写真資料調査部会が、米国立公文書館が所蔵する写真を整理・分析した中に、1945年9月に集積場の全景を撮影した写真があった。市教委文化財課は「施設の全景を写した唯一の写真で、価値は極めて高い。佐世保に(震洋の)施設があったと証明する写真」と意義を強調する。
一昨年、地元テレビ局が戦後75年特番の取材過程で同公文書館から写真データを入手。番組放送後、同部会が寄贈してもらい分析していた。今年4月、同部会が佐世保に関連する写真データ約1600枚を市に提供した。
同課によると、市などに震洋艇を大きく写した撮影場所不明の写真が残っているほか、佐世保の歴史をまとめた書籍に同町に震洋の基地が存在したとする証言が掲載されている。佐世保海軍工廠(こうしょう)の物品置き場を示した地図には、同町に「四艇整理場」の表記があった。「四艇」とは震洋のことを指す。だが、同町に施設があったと裏付ける写真などの証拠はなかった。
見つかったのは、四艇整理場とみられる写真や震洋を近くで捉えた写真など5枚。うち1枚には複数の震洋が写り「Kamikazi boats(神風ボート)」や、「100隻以上の震洋がある」などと英語の説明文があった。撮影日は1945年9月23日~29日。旧日本軍の武装解除に伴う査察などの際に撮影したとみられる。
市は今後、残る写真の整理・分析を進める。