日中友好と不戦誓う 長崎で碑建立1周年追悼式

碑に献花し手を合わせる髙實絢子さん=長崎市蚊焼町

 第2次大戦中に中国から強制連行され、長崎県内の炭鉱で労働を強いられた中国人の名前を刻んだ「日中友好平和不戦の碑」の建立1周年記念追悼式が14日、長崎市蚊焼町の高台であった。
 碑は昨年11月、中国人元労働者や遺族と三菱マテリアル(旧三菱鉱業)との和解事業の一環で同町の私有地に日本で初めて建てられた。同市の高島、端島(軍艦島)、西海市の崎戸の3炭鉱で働かされた845人の名前が刻まれている。
 碑のそばには、和解実現に尽力した元長崎市長の本島等さんと長崎大教授の髙實康稔さん(いずれも故人)の功績をたたえる碑も建てられており、私有地を「本島等・髙實康稔記念平和庭園」と名付けた。
 高島を望む高台で営まれた追悼式には関係者約10人が出席。髙實さんの妻絢子さん(80)は「静かなこの場所に立つ碑の裏には強制連行の厳しい歴史が書かれている。若者や次の世代に平和を呼びかける礎になってほしい」と願った。新型コロナウイルスの収束後、遺族らを招いて追悼集会を開く予定。
 追悼式に先立ち、13日、中国人強制連行問題などに取り組んできた内田雅敏弁護士(77)が同市内で講演。1972年の日中共同声明や78年の日中平和友好条約の理念を読み解きながら「先人が残した平和資源を活用していかなくてはならない」と述べた。


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